あの日から5年 | 私の中で何かが変わるきっかけとなった3.11

あの日から5年

こんにちは。

今日は日本にとっても自分にとっても大きな意味のある日です。

5年前の今日、私は職場復帰してちょうど2週間目のところでした(それまでは育児休暇を1年半とっていました)。
我が子は1歳半でした。
4月から保育園に入園することが決まっており、その時はおうちでパパが見ていてくれました。

当時は丸の内のオフィスで仕事をしており、地震が来て電車が止まり、帰れなくなってしまいました。
私は東京都日野市に住んでいます。
歩いて帰るには、遠すぎたので、一晩オフィスで夜を明かしました。

翌朝、ものすごく混雑した電車に何とか乗り込み、いつもよりゆっくりとした運転で進む中、何とか帰宅することができました。

地震が来て、まず考えたのは自分の子供のこと。
そして、岩手に住む両親のことです。
幸い自宅とはメールで連絡が取れましたので、すぐに無事が確認できましたし、パパが付いていてくれたので安心でした。

しかし岩手の両親とは翌朝まで連絡が取れず、本当に心配しました。

私の両親は岩手県釜石市の出身です。
子供のころから釜石に遊びにいくたびに、両親から津波の恐怖について聞かされてきました。
昔ここで大きな津波の被害にあった人たちがいる。そして、またいつか必ず津波はやってくる。

そう聞かされて育っていたのですが、それがまさにあの日現実のものとなってしまいました。

私の親戚の中には家に津波がやってきて、天井の梁につかまったまま何とか助かり、翌日の昼に救助された人もいました。
また、遠い親戚ですが、陸前高田市で津波の被害にあい、一家5人が亡くなった人たちもいました。

それを聞いたときには本当に胸が痛んだのです。
自分が直接被害にあったわけではないけれど、自分の痛みとして感じた3.11でした。

これからどうなるかわからないという事実が自分を変化させた

思えばあの日から自分の価値観は変わったような気がします。

また大きな地震が来るかもしれない。その恐怖。

そして、小さなお子さんをお持ちの方であれば同じ思いであるでしょうが、あの原発事故。

もう正直日本は終わりなのかと思いました。
そして、原発事故はいまだに終わってないのです。
これから先、何があってもおかしくはないのです。

あの時から自分の中で何かが変わっていきました。

子供のこと、仕事のこと、家族のこと。いろいろ考えました。
そして、今まで当たり前だったことが、実はそうではないということに気が付きました。
本当に生きているだけで奇跡なのだということに気が付きました。

そして、もし大きな地震がまた起こったとき、子供の近くにいなければならないという想いを強くしました。
そして、自宅中心に仕事をしたいという気持ちが、よりいっそう強くなったのです。
(それまでは独立して仕事をするなんてほとんど考えたことはありませんでした)

何よりも自分一人で仕事ができるスキルを身に着けなくてはならないと感じたのです。
大企業という組織に属していたとしても、何かのときに組織は守ってくれない。
いざとなれば頼れるのは自分。そして自分の家族なのです。
たとえ日本を追われても、どこにいっても生きて子供を守っていかなければならないのです。

自分の思いが大きく変わると、行動も変わってきました。

そして、5年という月日がたった今、気が付くと自分がこうなりたいと思った方向にきちんと舵を切れています。

3.11をきっかけに変わっていかなければ

東京の一極集中化や原発の存在は、経済至上主義である日本の弊害だと思っています。
それに気づいていても、ついつい便利だし豊かだしそれに流されてしまう。

今、盛んに言われている首都圏直下型の地震。それが起こったら本当にどうなるのでしょうか?

わかっていても変わろうとはしない日本社会。どうしてなのかと不思議になります。

あの日、犠牲になった人たち。いまだに原発事故で家に帰れない人たち。
その人たちの犠牲を忘れずに、今日本人は変わっていかなければならないと強く思います。

ではまた。

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